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肥前国ミステリー「與止日女命」

與止日女命をめぐる古代浪漫
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淀姫研究② 與止日女命を祀る主な神社

與止日女命を祀る主要な神社に、佐賀市大和町「與止日女神社」、同与賀町の「与賀神社」、伊万里市大川町の「淀姫神社」、長崎県松浦市志佐町の「淀姫神社」、九州以外では京都市伏見区淀の「與杼(よど)神社」などがあります。

それぞれの祭神解釈ですが・・・

①肥前一宮・與止日女神社
【鎮座】 佐賀市大和町川上
【祭神】 與止日女命(神功皇后の御妹)、また豊玉姫命(竜宮城の乙姫様)
【創建】 欽明天皇二十五年(564年)創祀

②与賀神社(與賀神社)
【鎮座】 佐賀市与賀町
【祭神】 与止日女神(=豊玉姫命
【配神】 八幡神・彦火々出見命、住吉神・綿津見命、乙宮神・宗像三女神 ほか
【創建】 欽明天皇二十五年(564年)に勅願造立

③伊万里市・淀姫神社
【鎮座】 佐賀県伊万里市大川町大川野
【祭神】 與止日女命(=豊玉姫命)【合殿】建御名方命・菅原道真公
【創建】 欽明天皇二十四年(563年)

④松浦市・淀姫神社
【鎮座】 長崎県松浦市志佐町浦免
【祭神】 12代景行天皇・淀姫命(=神功皇后の妹)・豊玉姫命
【創建】 欽明天皇癸未二十四年(563年)

⑤與杼神社
【鎮座】 京都市伏見区淀
【祭神】 豊玉姫命、高皇産霊神(タカミムスビノカミ)、速秋津姫命(ハヤアキツヒメノミコト)

以上、各神社の祭神の説明をみると、與止日女命には、「豊玉姫命とする説」、「神功皇后の妹とする説」の二つがあります。

與止日女信仰の原点かと思いきや、①肥前一宮與止日女神社は「神功皇后の御妹、また豊玉姫命」と曖昧な立場でありまして、逆に謎の発端となっています。與止日女神社の祭神に関する記述で一番最初にその名が登場したのは、『肥前国風土記』です。石神「世田姫」であると明記されており、神功皇后の妹説は全く登場していないため、この説は後世に作られたものでしょう。本来は「石神」。自然崇拝です。この神社の近くには、石神と思われる巨石が点在する「巨石パーク」なるものがあります。

⑤の與杼神社ですが、肥前一宮からの勧請であるにもかかわらず、祭神は與止日女の名称ではなく、「豊玉姫命」です。これ重要です。
松浦市淀姫神社のみ、神功皇后の妹「淀姫命」と、豊玉姫命を同一視せずに、それぞれ祀っていることから、この二柱の神は別々の神だと解釈されているのかもしれません。
②与賀神社と、③伊万里市淀姫神社については、別名「豊玉姫命」となっており、神功皇后の妹説には触れられていません。

各神社に共通するのは豊玉姫命で、この神様は與止日女信仰において重要な神様になります。

豊玉姫命は、『古事記』上巻、「山幸彦と海幸彦」神話に登場する女神で、海神・綿津見神の娘にあたります。
「山幸彦と海幸彦」の神話を要約すると・・・・・

海幸彦は漁師として魚をとり、山幸彦は猟師として獣をとって生活していた。
山幸彦は兄の海幸彦にそれぞれの道具を交換してみることを提案し、少しの間だけ交換することにした。

山幸彦は兄の釣針で魚を釣ろうとしたが1匹も釣れず、しかもその釣針を海の中になくしてしまった。兄の海幸彦も獲物を得ることができず、自分の道具を返してもらおうとしたが、山幸彦が釣針をなくしてしまったことを告げると、山幸彦を責め取り立てた。

山幸彦が海辺で泣き悲しんでいると、そこに塩椎神(シオツチノカミ 潮流の神)がやって来た。山幸彦が事情を話すと、塩椎神は小船を作って山幸彦を乗せ、綿津見神(海神・ワタツミ)の宮殿へ行くように告げた。
教えられた通り綿津見神の宮殿へ行くと、(中略)海神の娘・豊玉姫は山幸彦を見て一目惚れした。父である海神も山幸彦が天孫邇々芸命(ニニギノミコト)の子であるとみとめ、すぐに娘の豊玉姫命と結婚させた。こうして、海神の元で三年間暮した。 三年間たって、山幸彦はここに来た理由を思い出し、深い溜息をついた。海神が溜息の理由を問うたので、山幸彦はここに来た事情を話した。

海神が魚たちを呼び集めると、釣針が赤鯛の喉に引っかかっていることがわかった。海神は釣針と潮満珠(しおみちのたま)・潮乾珠(しおひのたま)を山幸彦に差し出し、「兄が高い土地に田を作ったらあなたは低い土地に、兄が低い土地に田を作ったらあなたは高い土地に田を作りなさい。兄が攻めて来たら潮満珠で溺れさせ、苦しんで許しを請うてきたら潮乾珠で命を助けなさい」と言った。そして和邇(鮫)に乗せて送って差し上げた。

山幸彦は兄に釣針を返し、海神に言われた通りに田を作った。海神が水を掌っているので、海幸彦の田には水が行き渡らず、海幸彦は貧しくなっていった。さらに海幸彦が荒々しい心を起こして攻めて来た。すると山幸彦は潮満珠を出して溺れさせ、海幸彦が苦しんで許うと、潮乾珠を出して救った。これを繰り返して悩み苦しませると海幸彦は頭を下げて、山幸彦に昼夜お守りすると言った。

豊玉姫は懐妊していたが、天神の子を海の中で生むわけにはいかないとして、陸に上がってきた。産屋に入った豊玉姫は、「他国の者は子を産む時には本来の姿になる。私も本来の姿で産もうと思うので、絶対に産屋の中を見ないように」と山幸彦に言う。 しかし、山幸彦はその言葉を不思議に思い、産屋の中を覗いてしまう。そこで豊玉姫が姿を変えた八尋和邇(やひろわに)が、腹をつけて蛇のごとくうねっているのを見て恐れて逃げ出した。 豊玉姫は山幸彦に覗かれたことを恥ずかしく思って、産まれた子を置いて海に帰ってしまう。
しかしその後、その覗いた山幸彦の心情を恨んだが、御子を養育するという理由で妹の玉依姫を遣わし、託した歌を差し上げ、互いに歌を詠み交わした。



つづく。

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神野奏太
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男性
自己紹介:
地理学出身、歴史学・民俗学・郷土史研究中。

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